矢原徹一さんのご退職によせて

矢原さんに初めてメキシコに連れて行って貰ったのは、1995年の11月でした。その後の数年間、矢原さんのメキシコ・ステビア調査に参加させて頂けたのは、ほんとうに幸運でした。毎回、数週間の調査をご一緒させて頂いたおかげで、メキシコでの現地調査の仕方や、研究や学問のことなど、様々なことを学ばせて頂けました。今もなお、メキシコと良い縁が続いているのは、矢原さんのおかげだと思っています。ご退職後はますますご活躍されることとは思いますが、お時間がありましたら、ぜひ、久しぶりにメキシコ調査をご一緒したいです。 さて、このメッセージを書くにあたって、最初にご一緒させて頂いたメキシコ調査の記録を読み返してみました。Google MapもGPSも無かった時代に、道路地図と現地で尋ね歩いた情報を頼りに、100年も前に植物が採集された場所を探すメキシコ調査。あの時見たメキシコの青い空や、楽しかった調査の様子が思い出されました。当時は麻薬カルテルと自警団の抗争とかも無かったので、親切な地元の人達に助けてもらいながら、特に危険も無く、メキシコ全土(チアパス除く)を日本人だけで駆け巡れたのはラッキーだったと思います。矢原さんとの初めての調査の記録を、フィールドノートのメモから抜きだして、いくつかここに載せておきます。

1995/11/24

10:30に仙台駅まで福田君に送ってもらい、新幹線と京成特急を後ついて成田空港へに15:30着。南ウィングでUnitedのチェックイン。17:30頃離陸。サンフランシスコの乗換えの荷物受け取りでは、麻薬犬がリュックの前に座ってしまって、職員にいろいろ聞かれる。問題はなかったものの、もしかすると、ネパールでCannabisの茂みをかき分けて歩いたせいで、匂いが残っていたのかも。メキシコ行きはほぼ満席。機内で初めてのメキシコのイミグレーションカードを記入。メキシコに到着。イミグレはわりとスムーズに進む。税関では荷物を開けさせられたが、特に問題は無かった。出るときにもう一度ボタンを押したが、緑ランプで問題無し。外に出ると、矢原さんと、副島さん(副さん)が待っていてくれたが、すぐには気づいて貰えなかった。ヒゲを伸ばしていたせい。メキシコ人はヒゲを伸ばしている人が多いだろうというイメージを持っていたのだが、メキシコシティについてみたらそうでも無かった。駐車場に駐めてあるVolks WagenのCombiというバン(9人乗りのマニュアル車)で、矢原さんの運転でホテルへ。駐車場を出るとき、係員に14ペソ(カトーゼ)と言われたところを、副さんが40ペソ渡してしまったのに気づいたが後の祭り。数字の発音はポルトガル語と似ているので、なんとかなりそうだ。ホテルは、Zona Rosaという繁華街のHotel del Principado。シャワーを浴びて、早速ヒゲを剃ったのだが、Jaliscoに行ったらヒゲを伸ばすのがふつーだったので、後でちょっと後悔した。独立記念塔などを見て、レストランで食事。ビールでこれからのメキシコ調査を祝して乾杯。ホテルに戻って休んだら、すぐに眠ってしまった。

1995/11/25

7:00にホテルのレストランで朝食。メキシコでの初めての朝食ということで、メキシカンスタイルを選ぶ。玉子2個分の目玉焼きに、トルティーヤ。朝食後はロビーで今後の調査の打合せ。前半の10日はJalisco方面、後半の4日はVeracruz方面に行くことに決まる。9:00にホテルを出発。Insurgentes通りを南に進む。車道は、大型車1台がぎりぎり通れるぐらいの幅の2-3車線に分かれており、渋滞時の車間は1mを切る。メキシコシティは大きなビルやスーパーなどが立ち並ぶ近代都市だが、信号待ちでは、新聞売り、芸人(ジャグリングやら、アクロバットやら。口から火を噴くことも)、お菓子、花、衣紋掛け、生きたウサギなんかも売っていて、混沌としている。10:00頃、UNAMのキャンパスに到着。有名なオリンピックスタジアムや図書館などを副さんに教えてもらう。UNAMのキャンパスはやたらに広くて、車なしでの移動は難しい。しかも、道路は環状で一方通行になっているため、分岐点の看板をしっかり見ないと、自分がどこにいるのか分からなくなる。Institute de Ecologia着。Ken Oyamaさんはまだ来ていなかったので、しばらく待つ。Kenが来てから、副さんと一緒に、標本乾燥用のヒーターを買いにスーパーに行く。アメリカ製のヒーターが206ペソ。でも、購入は一筋縄では行かず、お金を払う場所と商品を受け取る場所は、商品の陳列場所とは全く違う場所。これでは現地の人がいないと分からない。別のお店でコンピュータ用のコードやケーブルも買って、UNAMに戻る。すでに12:00近く。ハーバリウムに行って標本を見せて貰う。矢原さんは、今日は昼飯抜きで仕事するぞーと言っていたのだが、30分もすると、やっぱり食べに行こうと言い始め、Kenを誘ってTacos屋へ。いろんなお肉や、マッシュルームや、小さなタマネギ(Cebolla)とサボテン(Nopala)。Salsa はVerde, Roja, Mexicanaの3種類で、辛いが旨い。新鮮なライムも欠かせない。食事の後はハーバリウムに戻って標本仕事の続き。メキシコのDesmodiumをAからBまで見たところで18:00。段ボールと新聞をハーバリウムで貰ってホテルに戻る。前日のコレクションにラベルを入れ終わったてから、ホテルのレストランで軽い夕食。ビールとイカのフリッター(calamares fritos)。食事の後はすぐに眠ってしまう。

1995/11/26

7:00に起きてホテルのレストランで朝食。コンチネンタルブレックファスト。コーヒーはCafe con Leche。ウェイターのおじさんが、なんども、「Mas cafe?」と尋ねて、コーヒーを注いでくれる。Guadalajaraに向けて出発。移動中の荷物を減らすためにホテルに預けて行こうとしたが、矢原さんも副さんも、全部持っていくとのこと。預けようと思っていた荷物をあわててスーツケースに詰め込む。車は9人乗りのバンなので、3人分の荷物を全部いれても余裕がある。最初は矢原さんの運転で、渋滞の多いMexico Cityを抜ける。高速に入るとけっこう車が減る。西に進んでTolucaの近くで給油。副さんに運転を代わる。Tolucaは工業都市で、遠くから見ると濃い黄色のスモッグに、町全体が覆われている。Atlamulcoを過ぎたあたりで私に運転を交代。初めてのメキシコでの運転に緊張する。メキシコでは高速道路で無くても時速100km程度で走ることは当たり前。でも、運転種が必ず気をつけなけれあならないのがトペス(Topes)。町の入口や橋の近くで車にスピードを落とさせるため、道路を横切る形でかまぼこ形の盛り上がりを作ってある。幅や大きさは様々で、道路標識でTOPE!と大きく注意を促しているところもありはするが、標識の無いところも多い。道が混んでいたらトペスの前では前の車がゆっくりになるから分かるのだが、空いているときに単独で入ると、車体がおおきく跳ね上げられることになる。最初は対面通行だったが、すぐに高速(Autopista)に入り、時速150kmで西に向かってひた走る。2時間ぐらい走った後旧して、矢原さんに運転を交代。もうすぐGuadalajara。町の入口近くで昼食。ここのEnsalada de carneは、すごく硬い肉だった。バイパスを通って北側の山に向かおうとしたのだが、町中に入ってしまい、抜けるのに苦労する。なんとか北側に抜け、山道へ。Stevia採集。道路脇に車を駐めて植物を探し、戻って来てはバンの荷台で標本処理。1時間ほど車を駐めてしまったせいか、パトカーが近寄ってきたので、標本を片付けて出発。目的地のIxtlahuacanの北を目指す。あたりはからからに乾燥した林でほこりっぽい。Desmodium等のマメ科がすごく多い。きれいな夕日が沈むころ、Guadalajaraに戻り始める。バイパス沿いにある矢原さん行きつけのホテルを目指すが見つからず。町中に入って行ったり来たりした後、ようやく目的のホテルを見つける。なかなか立派なホテル。標本処理をしてから食事。鳥の唐揚げのようなもの。夕食後は皆でブランデーとかをちょっと飲んでから、就寝。

1995/11/27

7:00、Guadalajaraのホテルを出発。街中の運転はだいたい矢原さん。高速の入口、Amecaとの分岐を過ぎて朝食。トルタス(固いパンにハムやチーズやアボガドをはさんだもの)とコーヒー。とても旨い。Tequilaで高速を下りようとするが、工事中。結局、次の高速出口まで行って、引き返す。テキーラの語源ともなったTequila周辺は一面のAgave畑(写真:リュウゼツラン畑の近くで車をとめて写真撮影に向かう矢原さん)。Amecaでバナナを仕入れ、Mascotaへ。副さんがバナナや甘い物の仕入れを欠かさないのは、運転中にTengo Hambre(お腹がすいた!)と叫びだす矢原さんに対応するため。砂埃を巻き上げながら走る山道では、何度も車を停めて植物採集。道路脇の植物は、砂埃で真っ茶色。Mascotaはこじんまりとしてキレイな町。ホテルについたのは17:00頃。一泊一部屋30ペソは、当時のメキシコの物価を考えても激安!シャワーを浴びた後、標本整理。シャワーは他の部屋で使用中だと、水が出なくなる。どうやら、副さんと水のとりあいをしていたらしい。標本整理の後、夕食。ソカロ(注: 町の中心で大抵は教会前に広場がある場所)の反対側の食堂で。ビール, スープ、ケサディージャなど。メキシコ料理で満腹。帰り道に、翌日、車内で食べるための食料を調達。ホテルに戻ってテキーラを皆で飲む。23:00頃に眠る。夜中に目覚めると、ヒーターが消えていた。
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1995/11/28

5:30に起きてパッキング。標本の乾きはあんまり良く無い。7:00に集まって朝食のはずだったが、すぐに出発。Mascotaの北の山地を目指す。矢原さんが「霜が降りている」というので「そんなはずは無いでしょ」と答えたのだが、外に出て確かめると確かに霜でびっくり!この辺りは基本はどこまでも続く平原だが、その中のところどころにポコポコと円錐型の山が立っているような面白い地形。赤い砂埃をもうもうと舞わせながら道を走っていくと、とうとうデコボコの山道になった。ここからはひたすら登り。途中、何度か停まって採集。今日の予定は、ここから30kmぐらい先の標高2400mの場所。こんな調子で到達できるのかと心配になる。途中、採集をしたついでにご飯。パン(BimboかTina Rosaという会社の菓子パンはどこでも手に入る)、ジュース(Jumexという会社の缶入りフルーツジュースなど)、リンゴ。このリンゴはほけほけで旨くなかった。岩がちの山道なのに、けっこう交通量が多く、バスやトラックとも多くすれ違う。Steviaはたくさん見つかり、ちょくちょく停まって採集。やや暗い斜面には、マツ、カシ、シデ、モクレン、ツタウルシ、クジャクシダなどの仲間が生えており、日本の植生を思い出させるような、とてもキレイな落葉樹林が沢沿いに広がっている(写真: ドクウツギの仲間)。12:00頃、1900mの峠に到着。ここで、予定していた道を進むのは時間的に無理だと判断。右側のBufa el Real Altoへの道を進むことにする。副さんが運転するが、小柄なためハンドルにしがみつくような体勢になってしまい、急な斜面ではクラッチワークが大変。 私に運転を代わり、ひたすら走る。標高2400m付近でお目当てのSteviaが採れる。あとは、2500mまでのぼり、少し採集してから引き返す。降りのガタガタ道をつっ走り、山を下りたのは16:00頃。Mascotaに向かう砂だらけの道を走るが、橋の手前に大きな逆トペスがあるのに気づかなかった!時速50kmぐらいでつっこんだため、車の前方が跳ね上がってしまい、体が少し宙に浮いて、ひやりとした。その後は一路、Talpa de Allendeへ。Talpaにはホテルがたくさんある。適当に選んで入り、3部屋2泊で300ペソ。ここも激安。標本を整理して、シャワーを浴びたら、夕食。この町のソカロにある教会には、奇跡を起こしたことで有名なマリア像があるのだとか。見物に行くとちょうどミサの最中。バッハのトッカータが静かに流れていた。翌日の食料の買い出しをした後、食事はホテルの食堂で。食事後、べつの部屋で皆で飲んだが、飲み過ぎ。21:00には眠ってしまう。0:00頃に起きて、標本乾燥のための紙交換。
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1995/11/29

5:30起床。標本のパッキング。未乾燥のものは野冊にはさんで運ぶことにする。7:00出発。朝食を出す店を探すが無し。とりあえず最初の目的地のLa Cuestaに向かう。矢原さんの調査隊は、あんまり食事の時間をはっきりとは決めない。矢原さんがいつもお腹を空かせて、何か食べているせいかもしれない。未舗装道路をどんどんと進む。途中、馬に乗った人達を何度も追い越す。この町では、馬が普通の交通手段で、カウボーイハットもごく普通のファッション。すれ違うとき、カーボーイハットをちょっと傾けて挨拶してくれる姿がさまになっている。牧場地帯を抜けると、森林帯にはいる。北向きの斜面は湿っており、カシ類が豊富。このあたりの沢は水がキレイで、特に沢筋に広葉樹が多い。Canavalia(たぶん、C. hirsuta)がちょうど満開だった。南側の斜面は乾燥していて、砂埃が多い。斜面を下って行くと、ちょっとした村の入口に着く。大きな学校があって子供がたくさんいる。ここが、La Cuesta(丘という意味)らしい。ここまで来たが、特に採集するものが無かったので、引き返すことになった。尾根の分岐点で、El Chiracoyoteの方へ向かう。マツがメインの林で、道はぼこぼこ。途中、Steviaの面白いのがあり、昼食もその辺りで食べる。どんどん登って行くと、左手に大きな岩場。火山岩が浸食されて、丸っこくなっている。ここでも、Steviaの面白いやつが採れた(写真: Steviaを探して斜面を歩く矢原さん)。岩場には、Asclepiadaceaがくっつき、美しい花を咲かせている。反対側の湿った斜面には、Senecioと Stevia sp.(注:メモに書かれた種名が読めない)の林。時間は14:00過ぎ。もう少し登って 2500m付近まで行ったところで、15:00。引き返す。帰りは私が運転。山道の運転は緊張するが、だんだん慣れてきた。17:00過ぎ、Talpaのホテル着。標本整理とシャワー。矢原さんのデータ入力が終わってから、19:00頃に食事に行く。宿に着いたらその日の分のデータ入力を必ず終えるのが矢原さんの役目。データ入力には、採集地点の情報が必須だが、GPSは無いので「国道__線の○○と□□の分岐点から東に##km進んだところ」とか、車の距離計を頼りに採集地点を記載する。食事に行く途中、教会の横の果物屋でリンゴとみかんを買う。Camoteという妙な食べ物があり、珍しそうに見ていると、店のおばちゃんが一つくれた。食べてみると干し芋の味。けっこう旨い。ぶらぶら歩いてレストランを探すが、よさげな場所なし。結局、ホテルの反対側にあるレストランに入って食事。私はトルタス。ここのはチリソースがたくさん入っていて、とても辛い。副さんはエンチラーダス。矢原さんはカルネアサダ。ホテルに戻って副さん持参のブランデーなど頂きながら、九大の山崎研(矢原さんの隣の研究室で、私が次年度からポスドクに行く予定のところ)の話しなどを聞き、集団遺伝や分子進化の勉強をしておかねばと、気を引き締める。22:00頃部屋に戻る。24:00頃、乾燥中の標本の仕分けをしてから眠る。
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1995/11/30

11月の最後の日。4:00頃には目が覚める。4:30に起きて、前日に買っておいた菓子パンとジュースを食べ、スペイン語のテープを聞きながら、しばらくはウトウト。6:00、標本の紙換えとパッキング。昨日の辛い夕食のせいか、やや下痢気味。7:00出発。荷物を積み込んだ後、ホテルの向かいの屋台で、コーヒーとサモサのようなやつ(中に肉の入った厚手のトルティーヤを揚げたもの)。ここで、矢原さんが屋台のおばさんに道を訪ねると、おばさんが隣で食べていた客のおじさんと一緒になって道を教えてくれるのだが、なんだか混乱している。そのおじさんに一緒に行ってくれるかと頼むと、今日は仕事はあんまりないので、OKとのこと。おじさんを助手席に乗せて出発。このおじさん(Raphaelさん)は、本の訪問販売をやっている。住まいはAutlanで、10歳と12歳の娘がいるとのこと。Talpaには仕事に来ていただけで、この辺の地理にはそんなに詳しく無いのだとか。訪問販売で扱っている本は聖書で、Autlanで仕入れた聖書をTalpaで、一冊500ペソというけっこうなお値段で売っているのだとか。今週は4冊売れたそう。火曜から金曜まで働いて他の日は休みなんだけど、今日は木曜なのに一緒に行ってくれたのは、聖書が売れたおかげで休みにしたらしい。車はSierra de OroとRio Cuarreの方面へ進む。矢原さんも他人を乗せているせいか、車を止める回数が普段より少ない。でも、何度か停まって採集。そのたびに、おじさんはあたりをぶらぶらして時間を潰す。 Sierra de Oroの辺は、スペイン人が金を取るために削った山がある。荒野をすすみ、峠を越えて、次の峠まで行ったところで、Rio Cuarreがとても遠いことが分かる。この時点で11:00だったので、あきらめて引き返す。途中で私に運転を交代し、Talpaに向けてガタガタ道をゆっくり走る。13:30頃、Talpa着。おじさんに良いレストランを聞き、昼食。おじさんおすすめのBirellaという肉のスープは、カレー風の味付けで、とても旨い。おじさんの食べ方は、トルティーヤの中に何も入れず、両手で挟んでくるくる巻いて棒状にして、片手でつまんでそのまま端からむしゃむしゃ食べる。スープにつけたりもする。メキシコ人はこういう食べ方をするんだなと、なんだか感心した。食事の後は、教会前の果物屋に、昨日サービスしてもらった砂糖のついた干し芋(Camote)を買いに行く。昨夜、1つサービスしてくれたおばちゃんは、「美味しかったの(Rico?)」とくすくす笑いっぱなしでほのぼのとする。副さんの運転でAutlanへ向けて出発。どんどん進んで、Mascotaとの分岐を越え、La Volcan方面へ。峠の上で、Steviaに近いグループのものを採集。その後はひたすら走る。途中の街ではこじんまりした闘牛場を通り過ぎる。広い道に入り、さらに進むと、峠を越えたあたりは乾燥しているのか、サボテンがあちこちにあるのが見える。西部劇やマンガに出てくるようなやつに近い。しばらく進むとAutlanに到着。おじさんにホテルはどこがいいかと聞くと、セントロのHotel Vallenciaがいいとのこと。まず、おじさんを家まで送って、副さんが案内のお礼として100ペソを渡す。Hotel Vallenciaにチェックイン。古い建物だが、中はキレイ。標本整理してシャワー。矢原さんの部屋はコンセントも無く汚かったようで、ホテルのにーちゃんが部屋を替えるかと聞いてきた。矢原さんはしばらく文句を言いっぱなし。今日は標本整理やデータ整理に時間がかかって、19:30を過ぎても終わらない。レストランのホテルで夕食。矢原さんの部屋で少し飲んで、就寝。

1995/12/1

5:00に目覚める。外ではなぜか花火の音がしている(一瞬、銃声かと思った)。パンケーキで小腹を満たし、スペイン語のテープを聞きながらウトウト。7:00に標本パッキング。今日はゆっくりめに出発するとのことで、8:00に朝食を終えた後、副さんと二人でメルカードへ。いろんなものが売っているが、特に、チリの類が豊富。写真を撮る。フルーツ売りのおばちゃんのかけ声が威勢が良くて面白い(写真)。9:00出発。標高1000mぐらいのところで Jaliscoaを探すが見つからず。Canavaliaの葉はたくさんあった。今日はマメ科の採集でも停まって貰うことになっているが、Steviaの方の採集にけっこう時間がかかっている。途中、Canavaliaの見事な花があった。どんどん標高を下げて、400mぐらいまで来ると、Mucuna等も出てくる。Steviaの採集地へ向かうが、けっこう遠く、しかも、悪路。標高500m-700m付近をたらたらと走る。どうせ同じ道を戻るだろうということで、途中で私だけ下ろしてもらい、マメ科採集。車を降りてすぐに、Heguneraの様な果実を持つDesmodiumが採れてラッキーと喜ぶ!。他にもいろいろマメ科あり。1時間ぐらいして、車が戻ってくる。上の方でトラックが横倒しになって道をふさいでおり大変だったとのこと。無理矢理トラックと柵の間をすり抜けたので、車体がぼこぼこ。かなり大きい傷がついている。危険な場所をやり過ごしたおかげで矢原さんがハイになっており運転が恐いと副さんが言うので、運転を私に交代。ガタガタ道を行く。1時間ぐらいして町に着く。道が狭く車が全部こっち向きに駐められていて、どうもおかしい。一方通行かも。脱出するために右折して、しばらく行くと、後ろからクラクション。パトカーだ!停まれと言われ、皆で心配しながらも、「スペイン語わかりませーん」モードで対応。何処へ行くのか?登録証はあるか?今日は何処へ行って来たのか?など聞かれる。言葉の分からない外国人だと言うことで、最後は「しゃーないなー」という感じで許してもらい、高速道路への道を聞いて出発。高速に入ったら、Manzanilloへ向けて走る。山が連なりなかなか海が見えず、そのうち日が落ちて真っ暗闇。緊張しながら運転する。しばらくして、矢原さんと運転を交代。Manzanilloに着いたのは20:00過ぎ。暗くなってから、最初に出てくるホテルに泊まろうと言っていたのに、矢原さんはどのホテルにするかけっこう悩む(ちなみに、メキシコシティ、グアダラハラ、オアハカ、ハラパなど、主要な町には行きつけのホテルがあるので、悩むことは無い。矢原さん達が自分達の体験で得た、貴重な情報)。21:00過ぎ、Hotel Fiesta Mexicanaにチェックイン。見た目はキレイなホテルだが、受付の従業員がチェックインにえらく手間取る。しかも、部屋に入ってすぐにシャワーを浴びようとすると、お湯が出ない。矢原さんはフロントに言って部屋を替えさせる。食事。Manzanilloでは海産物を食べられると期待してたのに、無し。お肉主体の料理とビール。部屋に戻ると、もう23:00過ぎ。猛烈に眠くなり、標本処理を終えずに眠ってしまう。~| 19951201_1.jpeg

1995/12/2

5:00起床。昨日乾燥できなかった分の標本の形直し。段ボールにはさんでパッキング。Canavaliaの花は液浸標本にした。7:00出発。今日は余裕があるとのことで、海岸でのマメ科採集に付き合ってくれるとのこと。海岸、河口、砂礫地などで停まって採集。9:00頃、高速に入ってすぐの道路脇にとめて海岸へ。一人で砂浜の方に行き、マメ科を探すが無し。車の近くに来るとエンジンをふかす音とタイヤが空回りする音が聞こえる。いやな予感。車に戻ると、案の定、タイヤが砂に埋もれて抜け出せなくなっていた。押してもだめ。副さんも戻ってきて、ジャッキアップしょうとするが、ジャッキの使い方がわからない。しばらく悩んだ末、ようやくジャッキの使い方が分かったが、すごく重い。ジャッキアップしてから、車を前方に押して倒してと、少しずつ進める方法を6度ほど繰り返すがだめ。副さんが後ろに進めた方が良さそうなことに気付き、あたりからレンガや石を拾ってきて、後輪の後ろ側に道造り。頑張ったおかげで、見た目にもちょっと良い道ができてしまい、副さんがAvenidad de Yahara(「矢原通り」)と名付けた(写真: 左)。何度かジャッキアップをしてタイヤをレンガにのせ、さあいよいよ脱出というところで、エンジンがかからない。今朝もプラグがかぶってしばらくエンジンがかからなかったことがあったし、一日前にも同じ症状でかかりにくくなったりしていたが、なんとかここまでは大丈夫だった。しかし、こんなタイミングで、いよいよだめ。バッテリーが弱っているらしく、セルモーターが全く回らない。まさにお手上げ状態!そのとき、高速道路の方からパトロールらしい車がこちらに気づいて近づいてきた。なんというナイスなタイミング!矢原さんが走って呼びに行く。 その車は、Secretario Turismoの四駆で職員のおじさん二人が乗っていた。おじさん達はすぐに状況を飲み込んで、丈夫そうなヒモをだしてきて車にかけ、バックで車を引っ張ってくれようとする。しかし、なんと、この四駆も砂にはまって動けなくなってしまった。あーあという感じで、まずは、みんなで四駆を押してなんとか脱出させることに成功。いよいよ、ヒモをかけて我々の車を引っ張るが、車を引っ張るための丈夫なヒモが途中でブツリと切れてしまったり、タイヤが再びスタックしてしまったりで簡単には出ない。砂を掘ったり、みんなで押したりして、12:00頃、やっと脱出。めでたい!バッテリーも充電してもらったので、エンジンも無事に始動。Secretario Turisumoのサービスなので、基本は無料だとのこと。サービスについてのアンケートにはExcellente!と書き込み、副さんが一人100ペソずつチップを渡して、皆で記念撮影(写真:右)。あとは順調に高速道路を走る。もうお昼の時間。Armeriaを抜け、Paraisoのビーチに着き、食事。日中の暑い時間を車と挌闘したので、みんなお腹が空いていた。ソパ デ マリスコス(海鮮スープ)を食べる。とても美味しい!喉が渇いたので、ミネラルウォーターも2本飲む。ようやくちょっとくつろげた。14:00にいざ出発というところで、またしても、エンジンがかからない。バッテリーがいよいよだめかも。ホテルのボーイに頼むが、ケーブルが無い。隣の薬局に借りに行く。なんとかエンジンをかけ、修理屋(Mecanico)に行くことにする。とはいえ、途中で植物採集はした。Armeriaの修理屋では修理できないと言われ、高速に乗る。この辺りの高速道路は、道端にお店とかがある。道路脇の屋台でココナッツジュースを飲む。冷えてて旨い。ふと横を見ると、すぐ近くに修理屋。車を見せると、いろいろやってくれたが、悪いところが見つからないとのこと。結局、セルモーターのベルトを締めておわり。30ペソ。一路、Ciudad de Guzmanへ。Colimaを通り抜けてからは、目の前に迫るVolcan de Colimaが美しい。富士山よりも高く、とんがったアスピーテ。写真を撮る。この辺りの地形はグランドキャニオンのミニチュア版のような感じ。谷は非常に深く、そこにかかる橋は、橋脚が橋の2倍ぐらいに長い。この手の橋が自慢らしくて、やたらと看板がある。Guzmanには18:00着。町中で通りがかりの人に良いホテルの場所を聞き、Quinta del Solへ。オープン1ヶ月の新しいホテルとのこと。3部屋頼む。シャワーはお湯がちゃんと出る。レストランは営業していないが、食事は出せるとのこと。でも、外が良いという副さんの意見で、町中のレストランを目指す。フロントのおじさんに地図を書いて貰って、タクシーで9ペソの距離。この町一番のレストランらしい門構え。アペリチフはビール。途中でワインも注文。メインは、矢原さんはヒレステーキ、副さんと私は二人で網焼きの肉や野菜をシェア。食後はコーヒー。なぜか、話しの流れが最近の分類学の動向になる。何か目的があって話している訳でも無く、矢原さんの意見をポツポツ聞ける。自分が理解したことをまとめようとするが、なかなかうまくまとめられず、しかも論理的に話せなかったことが嫌になる。このとき、矢原さんに聞いた話しのメモ(注: 矢原さんが言ったことをその場で書いたのでは無く、酔っ払った頭に残ったことを後ほどまとめたもの)を書いておくと、

  • ステビアの研究。アポとセクシャルが狭い地域で非常に分化している。アポの方が絶滅率が速いのでは無いかということを、分子系統樹を使ってたしかめる。まずは母系でやるが、そのうち核マーカーでも確かめる。
  • 絶滅率と種分化はどちらかを一定にしないともう一方が決まらない。equally plausible parameter.
  • Steviaは木本、草本どちらもあるグループで、どちらの進化速度が速いかということをきっちりデータで示した仕事はまだ無い。rbcLじゃだめ。せめてmatKを使う。
  • 分類形質を新しく探すことの意味は何か?記載されていないから記載する?それじゃあ、アイデアとしては、シーケンスが決まっていないからシーケンスするというのと同じで面白く無い。やってもしゃーない。Pet Taxaならまあいいけどね。
  • 研究するならよりアピーリングにする方が面白い。人に与える感動。こんなに面白いんだということが大事。
  • もちろん、形態の記載でも、ネタの持ちようではいろいろと料理ができるはず。
  • 分類学・生態学という学問の区分には特にこだわっていない。むしろ、種の歴史が面白い。一つの生物から始まって、こんなに分化してきたというあり方や、どうしてこんなにいろんな形態が生まれてきたのかというところに興味がある。その答えを探そうとしている。
  • 日本への生物学の導入。形態学はドイツ、分類学はイギリス、生態学はフランス。
  • 保全生物学という分野は大切。種の絶滅というのは大きな問題。

など。この他にも、宗教の話しなどもした。こういう話しを矢原さんとすると、どんな話しにでも明快な説明を貰えて、すごく分かった気になる。その一方で、自分の考えを論理的に伝えることができなくて、後で落ちこんだりする。でも、矢原さんの意見聞ける良いチャンスなので、話しを続けた。後で副さんに頑張ってたねと言われた。タクシーでホテルに戻って寝る。
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1995/12/3

(しばらく忙しくてメモを残せなかったが、この日から4日分を、記憶をたどりつつ記録。)
昨日はホテルに戻ってすぐに眠ってしまったので、標本処理ができなかった。5:30に起きて処理したが、乾きはあんまり良くない。7:00出発。朝日に染まるVolcan de Colimaがきれい。煙を噴き上げる様子がはっきり見えるが、風にながされて横にたなびいてしまっているところが、ちょっと惜しい。今日はHiltolan de los Dorolesへ行くことのこと。道を尋ねつつ山道に入る。途中のバス停で聞いても同じ方向だったので、大丈夫だろうとどんどん進む。2500mぐらいのピークでStevia採集。矢原さんはお目当てのものが採れたらしい。マメ科もぽつぽつ出てくる。運転を私に代わり、奥の集落へ。道を尋ねると、この道はHiltolanへ行く道では無いと言われてしまう。やって来た道を戻って、さらに3時間かかるだろうと、とんでもないことを言われて困る。一つ前の集落に戻ってまた尋ねると、今度はすぐ近くで、1km先だと言われる。1km先まで進んで道路の分岐で尋ねると、やっぱり3時間かかるとのこと。その近くのバス停で聞いてもやはり3時間。地図と見比べて、ようやく現在位置を理解する。現在位置がつかめないままでは、採集場所のlocality dataが不正確になってしまうと、矢原さんはずいぶん心配していたが、ようやく安心(注: 標本ラベルには、どの町からどの道から何kmの場所という情報を記載するので、地図を見ながら現在位置を把握することはとても大切)。3時間もかかるということで、Hiltolan行きは諦める。もう一つの目的だったJaliscoaの採集は、またしてもだめ。Guzmanに戻る。途中のスーパーで買い物。日曜のせいか、買い物客が多い。この人達がパン屋で買い込んでいるパンの量がものすごい。我々も、ハム、パン、ジュースなどを買ってホテルへ。部屋で標本処理をする。この日は、夕食をホテルで食べるか、外で食べるかについて、矢原さんが決めずに、夕食時間になってもまだ決め切れていない。標本処理を終えて集まったとき、結局、外に出てご飯を食べようと言うことになり、レストランを探す。町にも人があふれている。クリスマスシーズンも間近のためか、活気がある。良いところが見つからなかったため、昨日のレストランで食事。矢原さんは、今日はお酒を飲まず。私は食べる量は、だんだん増えてきてしまったような気がする。宿に戻って眠る。

1995/12/4

今日はGuadalajaraへ行く日。7:00に起きて出発。昨日のうちに食料を買い込んであったので、食べてから出発すればと思うのだが、いつも通り、移動しながら車の中や採集のために停まったところで食べる。朝からちょっと食べ過ぎた。Nevado de Colimaに向かう。MacVaughの採集データに基づいて、アプローチを探す。San Marcosから奥に入るが行き止まり。途中、何度か道を聞いたが、うまく通じていなかったらしい。奥の集落で運転を交代して、山道を戻る。Piallaから広い道になり、調子よく進んで行くと、行き止まり。どうやら、トウモロコシの収穫用の道だったらしい。来た道をまた戻って、次の集落で聞くと、ようやくはっきりとした答えが返ってきた。なんと、来る途中で通り過ぎたTelemexの道を行けばいいらしい。そこまで戻って分岐を入ると、途中でParque Nacionalの表示。どうやらこの道で行けるよう。ようやく一安心。どんどん登る。この辺りの林はけっこう湿っていて、ダリアの木とかが多い。2650m付近で道が崩れて進めなくなる。車をとめて少し歩く。Lupinusの木なんかたくさん出てくる。矢原さんは目的のものが採れたようで嬉しそう。食事をかき込み、山を下りて、次の採集地点まで車を飛ばす。Lago Chapalaの北側。このあたりには良い林が無さそう。道を聞いても、採集地点がつかめず。次の場所へ。Lagunaの南側。道を尋ねて山道に入るが悪路。トウモロコシ畑と牧草地。採集するが、だんだんと日が暮れてくる。夕日に染まった湖が美しい。いよいよ時間切れで引き返す。車道に出て一路Guadalajalaへ。もう日が暮れて真っ暗。1時間走って、前回と同じ行きつけのホテルに到着してチェックイン。標本処理をしてシャワーを浴び、ホテルのレストランで食事。このホテルは、内陸だけど、なぜかSopade Mariscosが美味しい。前回と同じく今回も注文。美味しくてたくさん食べてしまった。副さんの部屋でワインを頂く。

1995/12/5

7:00に起きて、8:00にホテルのレストランで朝食。出発。前日に採り残したFicusを採りに戻る。途中、道を間違えたが、10:30頃に採集場所に到着。Ficusの他、矢原さんは崖にアプローチ。100年ぶりのSteviaを探す。戻ってきたときには、お目当てのものを手に持っており、「やったぜ!」と嬉しそう。こんなことが今回の調査で何度もある。とても優秀なコレクター。12:00に出発。Guadalajalaの町では、Autopista(高速)への入口がわからず迷ってしまった。ようやく町を脱出し、Autopistaをどんどん進む。13:00頃、高速沿いのカフェテリアで昼食。トルタスは相変わらず旨い。その後は時速140kmでMexico Cityに向けてぶっ飛ばす.ガソリンが半分になったところで運転を交代して貰って後部座席に座る。Tolucaまではラジオを聞いたり、ウトウトしたり。道はだんだん狭くなり対面交通になる。Tolucaでまた私に運転を交代。日が暮れて、道路標識が見にくくなり、少し迷う。この後Mexico Cityまでは完全に夜道。交通量は非常に多く、運転するのが恐い。Mexico City入ってからは、矢原さんに運転を交代。高速の出口で少し道を間違ったが、その後はあんまり迷わず、Zona RosaのHotel del Principadoに到着。シャワーを浴びて、夕食を食べに外に出る。インド料理のBombay Palace。私はベジカレーとナン。またしても食べ過ぎ。帰りに大きなホテルの売店で、絵はがきを買ったりする。ホテルに着いたら、すぐに眠ってしまった。

1995/12/6

7:00に起きて朝食。ホテルで Continental Breakfast. ハーバリウムへ行く。まず、標本を乾燥機に入れる。電球式の乾燥機で大きさはうちの旧型(当時の東北大理学部植物分類研究室にあった木製の標本乾燥機)を一回り大きくしたぐらいか。あまり標本は入っていないが、回転は早いよう。標本を挟んで入れ、次の調査の準備。明日は排ガス規制のためメキシコシティ内では車を使えないので、段ボールや新聞などを運んでおく。Desmodiumの標本をみる。Bからはじめ、種名と特徴をスケッチ。なんとかメキシコのDesmodium属の概要だけでもつかみたい。矢原さんがDr. Mario Sousaを紹介してくれる。にこにこと気の良いおじさんという感じで親切な人。アジアのDesmodiumを見せてくれ、標本交換したいとのこと。あと、大橋先生のGinkgoanaのコピーを頼まれる。しばらくして、Sousaさんが、Alfonzo Delgadoさんを連れてきてくれる。マメ科の研究者。少し話しをする。学生にDesmodiumをやらせたいとのこと。でも、とても忙しそうで、あまり話をしている時間はないよう。12:00頃、副さんが珍しくTengo hambreと言いだし、車で食事に出かける。Kenは不在だったので、我々だけでスーパーマーケットの近くのファミレス(Vips)へ。レストランについてから、食事が終わるまで、なんやかやで1時間ぐらいかかる。ハーバリウムへ戻って標本仕事の続き。Desmodiumの種類があまりにも多いので、Flora Novo Gariciaにのっている種とこれから行くVeracruzで見られそうな種を中心に見ることにする。Mexico Cityでの滞在予定を3泊に変更したので、明日も標本を見られるはず。ホテルに戻って夕食へ。皆、食欲がないとのことで、Barに行く。サラダバーがあって、ついつい野菜を食べ過ぎてしまう。テキーラも2杯飲む。

1995/12/7

この日はお休みをもらったので、自由行動。一人で国立人類学博物館やCentro Mayorの方に向かう。渋滞に捕まってしまいハーバリウムに着いたのは17:00過ぎ。矢原さんにも副さんにも心配をかけてしまった。

1995/12/8

7:00にホテルを出発。Mexico Cityを抜けて、東に向かう高速道路を進む。9:00頃、峠を過ぎた辺りのRio Frioで、矢原さん達の行きつけのお店で朝食。豚のスープとご飯 、シナモンなどが入った甘いコーヒー(Cafe de olla)で満腹。その後は一路、Puebla方面へ向いつつ、途中、ところどころで採集。Veracruz側は標高2千数百mのあたりに平原が広がっている。また、Popocatepetlやその他の雪をかぶった美しい山々がすぐ近くに見え、雄大な景色。写真をとる。まず、今日の目的地であるBarranca de Talpaへ向かう。コーヒー畑が広がっており、赤い実が太陽に光っていてきれい。Barrancaはグランドキャニオン(といっても、写真でしか知らないが)をミニチュアにして、緑で覆ったような風景。矢原さんは谷底へのアプローチを探して走り回ったが、結局谷底には下りられず。目的のものが採れなかったので、明後日にもう一度トライすることにして、Xalapaに向かう。もう日が暮れてしまったため、けっこうな悪路を、暗がりに緊張しながら進む。Xalapaにはやはり行きつけのホテルがあるとのことで、町に入って探すだが、なかなか行き着かない。町を一周して、ようやく坂道を上ったところにあるホテルに行き着く。大きなAraucariaの植わっている静かなビジネスホテル。標本処理をしてシャワーを浴びる。やはり行きつけのレストランがあるとのことで、歩いて向かう。Xalapaは大学のある文教都市という感じの街。金曜のせいかレストランも混んでいる。少し食べる量を減らそうと、Sopa(スープ)のみをcon arroz(ご飯入り)にして貰ったのだが、予想外のボリューム。宿に戻ったら眠ってしまう。その日の記録をつけたり運動したりしようと思うのだが、なかなかできない。

1995/12/9

7:00出発。はじめの採集地はXalapaから30分ほど走ったところ。近くにCafeがあったので、チーズとパンでご飯。ついでにコーヒー豆を買い込む。このあたり(Coatepec)の周辺はコーヒーの産地として有名。今日は標高4150mのCofre de Peroteを目指す。車で頂上まで行けるとのこと。道はかなり良い。道路脇の林はマツ、モミ、マツと変化し、その後は頂上付近の森林限界に至る。モミ林の下あたりの沢筋にはヤナギなんかもあり、広葉樹が紅葉していて美しい。まるで日本の林のよう。この山で面白かったのはセリ科のEryngium。でっかいトゲトゲの花が咲いてちょっとキク科にも見えるやつや、まるでネギのような葉をだすものなど、いろいろ。矢原さんも副さんも面白がって観察。頂上の電波塔のところまで行くが、もやがかかってしまい、眺望は良くなかった。矢原さんは高山病の気があるとのことで、頂上近くでは車の中で待っていた。しばらく高山植生を観察した後、山を下りて次の採集地へ。Ixhuacan方面に向かう道はなかなかの難路。道端では巨大なAgaveが花序を立てており、まるで電柱のよう。あちこちで道を聞きながら、Xicoの方へ向かう。途中、道路を横切るようにひも一本をひっぱっただけの、いかにもうさんくさい料金所がある。田舎道ではよく子供や、地元の道路補修のおじさん達が、こういうヒモで車をとめて、チップをよこせと言うことがあるので、それの大規模なやつなのかなと思ったが、料金所らしいの建物でもらった領収書はちゃんとしていた。この料金所を越えて、もう一つ町を越えたところにある湿った岩場の近くが目指すSteviaの採集地。先週までいた太平洋側と比べると、メキシコ湾海の斜面はとっても湿っていて、岩場にも常緑樹がいっぱいくっついている。いろいろと採集するが、今日はDesmodiumはだめみたい。採集中に、いきなり雨が降り出す。今回の調査中、初めての大雨。あまりにすごい降り方に、副さんも私も採集をやめて車に逃げ込む。ところが、矢原さんはそんな雨の中でも採集。すごいなーとまたしても感心。そして、結局、がけの上で目的のSteviaを採集して車に戻ってくるという、一流のコレクター。この後もカーブの多い道をXicoの方に向かうが、結局、Xicoまでは行き着けず、Xalapaに戻る。標本、シャワーの後、ホテルのレストランで食事。目的のものが採れたことをビールで乾杯。標本処理などして眠る。

1995/12/10

7:00出発。途中の町、Coatepecで朝食。コーヒーとパン。矢原さんはHevos a la Mexicana。チリやサルサが入った卵2個分のオムレツ。矢原さんはけっこう、これが好きで、朝食にはときどき注文している。まずは、前回、だめだったBarrancaに向かう。途中の標高600mぐらいのところのガケでは、Desmodiumなどのマメ科がとてもたくさんある。ハーバリウムで見て、採集したいと思っていたDesmodium helleriという、革質の細い葉っぱを持った小低木や、もう一種類の木本のDesmodiumもあった。あんまり時間が無いため停まっている時間のうちに標本を処理しきれず、車の中で標本押し。ただ、この日は前回のリベンジということで、気がはやっているのか、矢原さんの運転がけっこう荒っぽく、そんな時に車の中で標本押しなどしたものだから、ちょっと酔ってしまう。ようやくBarrancaに到着。矢原さんと副さんはすぐに採集にでかける。私は車の中で少し休んでから、まずは標本を全て押してから後を追う。途中、副さんが早々に引き上げてきたのとすれ違い、一旦、谷まで下りてから、斜面を途中までのぼってから車に戻る。矢原さんはというと、さらにガケを登って目的のものを採集してきたと、ほくほく顔。高いところはあんまり得意じゃ無かった気がするんだけど。。。目的のものを採集するためには、ガケ登りもへいちゃらなんだと、またしても感心。このとき、すでに15:00すぎ。とにかく、海の方を目指して車を走らせる。途中の草っ原のところで停まり、マメ科などを採集。矢原さんは走ってどこかに行ってしまった。マメ科のプレスを終えてから車を走らせ、途中で副さんを拾って写真を撮ったりしながら矢原さんを待つ。大丈夫かとは思うがちょっと心配。岩場の下には大きくとげとげのAgaveが茂っているところがあるので、足を滑らせて落ちたりしたら大変なことになると、副さんと話したりしていると、矢原さんが戻ってきた。Barrancaの谷底まで走って下りて、反対側の岩壁に登って採集してきたらしい。「またしても満貫ひいたぜ!」と喜んでいる。Hinton以来100年ぶりに採集されたものらしい。「ザマーミロメキシコ!」と、目指すものが採れて相当なハイテンションになっている。もう日暮れも近くなったので海まではたどり着けなさそう。それに、ガスも無い。広い道まで戻り、Xalapaとの分岐で、一応、海側の方に曲がって、給油。男の子がガスを入れてくれるのだが、そのお姉さんだろうか、可愛い女の子がやってきて、我々を見てなぜかニコニコと微笑みかけてくれたので、ほんわかする。町外れの河原で、時間的にはこの日最後の採集をするが、何も無し。結局、Xalapaに戻ることにする。またしても同じホテルに戻り、標本処理とシャワー。今日はMucunaを採集したため、細かい毛が手に刺さって、チクチクと痛い。食事。日曜のため、レストランは軒並みお休み。少し歩いて公園脇にある中華料理のレストランへ。採集が成功したお祝いということもあり、一人50ペソのコース料理は5菜1湯。中にはひどいのも含まれていたが、まずますのおいしさ。今日は祝杯ということで、ビールで乾杯。宿に戻って休む。

1995/12/11

7:00起床。レストランで食事をした後、荷物を積み込み出発。途中、Puentesのところでもう一度Steviaを採集した後、Mexico Cityに向かって車をがんがん飛ばす。ところが、霧が非常に濃くなり、20m先も見えなくなってしまった。こういう霧が出て湿度が高いところが、Veracruz側の気候!でも、次の町に着くと、急に晴れて視界がひらける。給油した後、トペスの物売りから「動物ビスケット」のようなものを買う。5ペソで2袋。食べてみると、どちらかというと「動物 炭酸せんべい」だった。高速道路を時速140-150kmでかっ飛ばして登りに入り、12:00にRio Frio付近に到着。高速を下りて昼食にしようとするが、出口を通り過ぎてしまった。その後、来る時にも見た聖火ランナーのような集団が、今日も高速道路を走っているのと行き会う。バラを持ったランナーや、自転車集団などがいっぱい。Guadalupe ...なんとかと書かれたマリア像の書かれた額縁を持って走っている人も。きっと、キリスト教関係の行事に関係ある集団。伴走車がのろのろ走ったりするので、ちょっとうっとおしい。峠を越えてMexico Cityに入ったときには、後部座席でウトウトしてしまった。その間に、副さん、矢原さんの運転で、ちょっと迷ってしまっていたらしい。Hotel del Principadoに着いたのは13:00頃。チェックインしたが、部屋がうるさそうな場所だったので、替えて貰った。食事はホテルのレストランで、Menu del Diaというセットメニュー。スープ、サラダ、モーレソースのチキン(Pollo con Mole)、デザートと、初めて全員がまともなセットメニューを食べる。量も多く、満腹。UNAMのハーバリウムに行く。前回の太平洋側で採集した標本を、MEXUに残して行く分と持ち帰る分を仕分けするのに、時間がかかる。17:30頃、ホテルに戻る。皆、お腹がすいていなかったため、21:30に夕食することにして、それまでお仕事。矢原さんにMacを借りて、矢原さん達がWordで使ったラベルのフォーマットにあわせて、マメ科標本のデータ入力。けっこう面白く作業する。20:00頃、作業を終えて、シャワーと着替え。矢原さんの部屋にパソコンを返しに行く途中で、副さん・矢原さんと出くわす。標本運搬用のスーツケースを買ってきたとのこと。21:00に下のレストランで夕食。ただ、矢原さんはフルーツだけしか食べず、疲れているからと言って早々に引き上げる。私は副さんと、テキーラやカクテルを飲みながら話す。副さんはCoctel de Camaronesというまるでパフェの容器に入った海老のサラダ。私はEnsalada de Pollo。23:30の閉店時間近くまで話し、部屋に引き上げるが、飲み過ぎて仕事もできず、眠ってしまう。

  • 1995/12/12-13はUNAMのハーバリウムでお仕事
  • 1995/12/14 は一人だけ先に帰国。朝5:00に矢原さんのノックで起こして貰った。

おわりに

2021年9月の矢原さんの退職記念の集まりにあわせて、初めて矢原さんに連れていって貰ったメキシコのフィールドメモを読み返して、まとめてみました。もうずいぶんと前のことなので、多くのことは忘れてしまっているはずなんだけど、鮮明に覚えていることが思ったよりたくさんありました。自分にとって、このときのメキシコ調査がとても大事なものであったのだと(たぶん、格好良く言えば、研究者としての成長するために重要だったのだと)、改めて思います。矢原さんは退職されてもお忙しいようですが、いつかお時間ができたら、ぜひメキシコ調査でご一緒したいですね。今の時代だと、町に入ったら歩いている人をつかまえて、「この町で一番いいホテルはどこですか?」とか、「どこか美味しレストランはありますか?」、とか聞くことも無いでしょうが、標本のラベルデータを頼りに、採集地点まで行き着く苦労はあんまり変わらないような気もします。いつか、「125年ぶりの標本、採ってやったぜ!」という矢原さんの声が聞けることを楽しみにしています。

  • 最終更新: 2021/9/22

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Last-modified: 2021-09-26 (日) 20:23:25 (968d)